1980年代初頭にクリーブランドキャバリアーズのオーナーだったテッド・ステッピン(Ted Stepien)にちなんで呼ばれている、NBAのトレードに関する規定。
テッド・ステッピンは1981年から1983年までの3年間しかキャブスのオーナーにならなかったが、今でもリーグに影響を与えた人物になった。
チームを買収したステッペンはチーム経営に高い意欲を示し、買収直後からプレイオフチームを目指すため改革を行おうとした。その行動のひとつが、ステッピンルール制定の原因になったドラフトファーストラウンドピック(1巡目指名権)の大量トレードである。
ステッピンは僅か3年の在任期間のあいだ、所持していた1982年〜1985年の5つのファーストラウンドピックをこぞってトレードに出した。結果、これによってキャブスは彼がチームを手放した後も長い間成績低迷に苦しむことになり、その理解が得れないトレードの実行やHCの解任はファンから圧倒的なヘイトを受けた。試合観戦者数も激減し、キャブスの歴史でも「最もファンに嫌われた時代」とも言われる。この3年間でチームの勝ち数は合計たったの49だった。
ファーストラウンドピックを4年連続分手放しフランチャイズチームが崩壊した事を問題視したNBAは、これによって「ファーストラウンドピックを連年でトレードに出す事を禁止」する規定を追加した。これがいわゆるステッピンルールと呼ばれている。
結果論ではあるが、ステッピンが手放したこの4年間のドラフト年から多くの有名選手が輩出されたことも彼が叩かれる理由になっている。例をあげるとマイケル・ジョーダン、カール・マローン、クライド・ドレクスラー、ジェームズ・ウォージーなどだ。
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