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ティム・ハーダウェイの衝撃クロスオーバーとキャリアを振り返る

Golden State Warriors
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はじめに

こんにちは!IBです。

先日のジャパンゲームで、今年、2022年に殿堂入り選手となったティム・ハーダウェイが来日しました。

ハーダウェイといえば記憶に強いファンの方々も多いのではないでしょうか。

最近まで日本にいたかと思うとドキドキする選手です。

5回のオールスター、そして5回のオールNBAチームという素晴らしい経歴を誇るハーダウェイ。

2000年、シドニーオリンピックでは金メダルも獲得していますね。

殿堂入りということもあり、ハーダウェイのキャリアを振り返ってみたいと思います。

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なぜここまで記憶に残るのか

ハーダウェイといえばリーグに一大センセーションを巻き起こしたといっても過言ではない、90年代を代表するポイントガードです。

代表的なムーブはやはりキラー・クロスオーバー

特にこの、細かい連続ドリブルで完全に相手を逆に飛ばしてしまうシーンは忘れられないキレ味。

真剣勝負のNBAの世界で、これだけ派手に抜き去る姿は憧れすら覚えます。

得点力、アシスト力、リーダーシップにももちろん優れたトップポイントガードではあります。

しかし個人的には、その活躍度合い以上に「プレイしている姿が記憶に刻み込まれる」ような選手でした。

183cmと小柄な事も印象的なのかもしれません。

その後のNBAに強い影響を残した、殿堂入りにふさわしい選手ですよね。

その強烈なクロスオーバーは「UTEP TWO-STEP」と紹介されました。

*UTEPとは、ハーダウェイの出身大学であるUNIVERSITY of Texas at El Paso の略。

当時のコメンテーターのセンスにも脱帽ですね。

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キャリア成績は

ハーダウェイは1989年ドラフト、14位でゴールデンステイト・ウォリアーズに入団しました。

クリス・マリン、ミッチ・リッチモンドとの「RUN TMC」を形成し、ファストブレイクをガンガン仕掛けるオフェンス特化型のチームにおいて速攻を指揮していました。

いわゆる「スモール・ボール」の引き金となった様なチームで、オフェンシブで有名なドン・ネルソンが率いたエキサイティングなチームですね。

ハーダウェイは1年目からスターターとして

  • 79試合出場
  • (以下平均)14,7得点
  • 8,7アシスト
  • 2,1スティール

を記録。

3年目には

  • 81試合出場
  • (以下平均)23,4得点
  • 10,0アシスト
  • 2,0スティール

を記録し初のプレイオフ進出、オールスター、そしてオールNBAセカンドチームへの選出と順調過ぎるスターダムを走っていました。

ちなみに同年のファーストチームには、クリス・マリンが選手されていますね。

ミッチ・リッチモンドも平均22,5得点をしているエース級プレーヤーだったので、当時の3人の破壊力たるや恐ろしいものです。

2011年にマリンが、2014年にリッチモンドが殿堂入り

実は満を持して、なハーダウェイの順番でした。

ハーダウェイは通年のキャリアでは867試合で17,7得点8,2アシスト1,65スティールを、

ウォリアーズ時代に限れば422試合で19,8得点9,3アシスト1,95スティールという成績を残しています。

9,3アシストは未だにウォリアーズにおけるフランチャイズ記録

超強豪となった今のウォリアーズの選手たちからも、間違いなくリスペクトを集める選手ではないでしょうか。

1996年にマイアミ・ヒートに移籍した後もアロンゾ・モーニングやジャマール・マッシュバーン、PJ・ブラウンといった名選手達と見事なケミストリーを作り、MVP投票での4位獲得やオールNBAファーストチーム入りを達成。

ニューヨーク・ニックスとのゲーム7では38得点の大爆発。イースタンカンファレンスファイナルまで進む、原動力となりました。

この勝負強さも魅力全開ですね。

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一期一会のドン・ネルソンHC

ハーダウェイはシカゴの出身ですが、シカゴはストリートコートでは風が強く吹く街として有名だったりします。

Madlan

その風に影響されない様に、ハーダウェイのシュートは回転していないなんて言われていたりする様な、綺麗なシュートフォームでは無かったみたいです。

それはドラフトでの評価にも影響した様で、NBA入り時点での懸念の1つでした。

しかしキャリアで35,5%のスリーポイント成功率であった様に、ハーダウェイのオフェンススキルにおいてシューティングにも自信があった様に見てとれます。

それは入団時のヘッドコーチ、「超オフェンス志向」かつ早い展開を好む当時のヘッドコーチ、ドン・ネルソンとの出会いが大きかったかもしれません。

ネルソンは当時のハーダウェイとの会話を下記の様にコメント。

“I told him that as long as he could make it, I didn’t care how it looked,” Nelson said. “If it got to the point where he couldn’t make it and it was affecting his shooting percentage, then maybe we would have to make some major changes. But he made it early, and he’s never stopped making it, so we never had to have the second meeting.”

決めている限りは、見栄えは気にしないよとハーダウェイに話した。シューティングパーセンテージが悪くなれば、やり方を変える必要があったかもしれない。でもハーダウェイは早々にシューティングを向上し、我々も心配する必要が無くなったんだ。

過去を振り返り、マリンは

ネルソンはオフェンス面でとにかく選手に自由を与えてくれた。ボールをシェアし上手く言っている限りはね。

とコメントしていました。

またユニークな部分では、「ディフェンスの練習はしたのか?」という質問に対してはリッチモンドが

もちろんしたよ。当たり前だ(笑)

と答えながらも、常に半笑いなのが印象的でした。

ディフェンス面ではリーグワースト2(1990-1991で115失点)、オフェンス面ではリーグベスト2(1990-1991で116,6得点)という極端なチームだけに、選手が伸び伸びとプレイしたことが容易に想像出来ます。

ハーダウェイ自身も、思っていたより早くに出番が来たとコメント。

“I thought I would probably come off the bench my first year and second year, and I was hoping I would start by my third year,”

ルーキー、そして2年目はベンチ出場になると思っていたよ。3年目程度からスターターになる事を目指していたからね

Tim Hardaway: Killer Crossover, 1993
I feel like when I’m on the court, that’s my court. Especially at home. I feel like I can do no wrong. If I want to slide from halfcourt all the way to the base...

ハーダウェイの入団早々の活躍は超オフェンス重視のネルソンの方針と、関係なくはないだろうなと思わされてしまいます。

バスケットボールにおける、所属チームの環境の大事さを改めて考えさせられる一幕ですね!

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まとめ

殿堂入り、そしてウォリアーズの来日イベントという事で来日し再びスポットが当たる年となりました。

実績もさることながら、やはりアイコニックな存在として忘れられないポイントガードであり、

今だからこそ見直したいクロスオーバーの名手です。

そしてクラッチプレーヤーとしても実は有名だったりと魅力満点でした。

この記事を見て頂いた皆様には、ぜひハーダウェイの全盛期のプレイを見返すきっかけになれば幸いです!

参考↓

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